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前記事に引き続きですが、僕個人の話として、以前中国に2年弱住んでいたころの話を少ししたいと思います。
中国との出会い
僕が高校2年生のころ、たまたま従兄弟の勧めで読んだ中国の武侠小説があります。ちょっとマニアックですが、「書剣恩仇録」という小説(香港の小説家:金庸氏の処女作)です。
この小説の開始数ページを読んだだけにも関わらず、そこで描写された清代中国の片田舎の描写に電撃が走りました。こんな感覚はおそらく初めてです。
運命的なものを感じて、大学に入ってから中国語の勉強に勤しみ、大学3年次の1年間、上海にある某大学に交換留学することになりました。
語学の壁などもありましたが、現地の中国人と積極的に交流したりすることで、留学開始数ヶ月でそれなりに中国語の日常会話もできるようになり、そのへんを歩いている人や物売りの中国人に話しかけて交流もできるようになっていきました。
その頃でしょうか。自分自身に異変を感じたのは・・・。
自分に異変?
異変と言っても悪い意味でではなく、なんだかこう、自分が本来の自分らしく振る舞えているというか、自分でも驚くくらい積極的に人に話しかけたりしているなぁと。
日本にいる時は、それこそ「内気」という言葉が当てはまるような、あまり人と関わりを持たずにいたいタイプでした。おそらく日本の既存社会というものが僕にとっては居心地が悪かったんでしょうね。
でもすぐお隣の国である中国に来てみると、こんなにも違うのか!というくらい、人間関係という意味でも別世界でした。
まず、日本とは違って結構「個人主義的」な印象を受けました。
周りを海で囲まれた島国の日本では、「和をもって貴しと為す」じゃないですが、協調性が特に問われ、出る杭は打たれるような横並びが好きな社会です。人と違う格好をしていたり考え方を持っているだけで生きづらさを感じます。
一方中国はというと、とても広大な国土に多くの民族が同居している地理的・民族的要件からか、日本よりも価値観の多様性があって、同調圧力のようなものはそれほどなく、気兼ねなく自分らしく居られるような気風が感じられます。
それに、僕は一人で行動したり本を読んだりしているのが好きですが、一人で居ても、日本のように周りから「ぼっち」のレッテルを貼られるような文化はありません。
上海の大学生たちは、授業が終わった放課後も教室に残ったりして、それぞれが思い思いに教科書を開いて独習をしている風景が毎日の定石でした。
日本だと「ガリ勉」のレッテルをすぐに貼られそうですね。。。
中国と個人主義
中国人の多くが内向型なのかどうかはわかりませんが、少なくとも集団行動を好まず単独で行動をするのは「内向型」のひとつの特徴かと思います。
僕にとっては、日本語を話すときと中国語を話すときでは、自分がまるで別人格のような感じさえしていて、母国語ではない中国語を話しているときはなぜか不思議にも居心地の良さを感じるんです。同時に自分らしさも感じます。
僕にとっては中国が自分の居場所なのでしょうか?
同じ中国語圏の台湾へは旅行で行ったことがありますが、肌感覚としては日本に近い印象でした。歴史的に日本の文化の息がかかっていて、日本同様島国だからでしょうか?
話を戻すと、中国にももちろん良くも悪くもいろんな人がいるわけですが、一番痛烈に感じたのは「裏表のなさ」でした。
あと、前記事で触れたスーザン・ケインさんの著作では、中国人は「沈黙=賢い人」という評価がなされるとありました。
言われてみれば、僕が中国で見てきた多くの中国人のうち、(失礼ですが)あまり教養がなさそうな半チンピラのような人たちは(笑)、何よりも真っ先に口が動くというか、常に不満そうで叫びまくっている印象でした。
一方、単独の中国国内旅行でたまたま知り合ったとあるおばさんは、初めて会話を交わしたときからどこか「気品」が感じられて、必要以上のことは喋らず、おとなしい感じがする女性でした。こちらの話すたどたどしい中国語もちゃんと最後まで聞いてくれ、傾聴力も教養もある感じです。
なので、スーザン・ケインさんの仰ることは、僕の中国での実体験としても頷けます。
「内向型」のコミュニケーションのとり方の特徴として、「具体的で明確な目的感を持って狭く深く話すことを好む」というものがあるかと思いますが、中国ではそういったコミュニケーションのスタイルを持つ人が「賢く教養がある人」と評価されるようです。
決して僕は賢い方でもなく教養があるわけでもないですが、少なくとも関心のある絞られたトピックを一対一で深くじっくり話すことが好きな人間なので、そういう意味でも居心地の良さを中国に見出していたのでしょう。
大学時代の留学で上海に1年、社会人になったあと駐在という形で広東省に1年弱住んでいましたが、僕にとっては「上海は第二の故郷」とも言え、仕事で中国に駐在していた間には、今でもよく連絡を取り合う仲の良い親友ができました。
また機会があれば、農業の仕事の合間に、第二の故郷:上海に帰りたいなと思う今日このごろです。