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こんばんにちは、1日中農作業でクッタクタのいーたんです^^;
普段いろんなことを考えながら農作業をしている僕ですが、たまたま今日考えていたテーマについて書いてみます。
タイトルのとおり、個人プレイとチームプレイについてです。
ではでは、しばしお付き合いくださいませm(_”_)m
僕の場合・・・
まずは個人的なことから。
僕は子どものころから、どちらかというと単独行動が好きで、ひとりで絵を描いたりものを作ったりするのが好きな子どもでした。
とはいえ、友達と遊ぶのもフツーに好きでした。
が、「集団」となると話は別 (-_-メ;)
たとえば野球やサッカーといった複数人で楽しむような遊びは、僕としてはなかなか楽しめず、どちらかというと気の合う友達と二人で遊ぶほうが好きでした。
少なくとも1人で何かをするのであれば、何をするかは完全に自分次第で自由ですし、自分の本当に楽しめることにいくらでも没頭できます。
一方、集団で遊ぶとなると、そこには「社会」が発生するので、ある程度協調性をもって相手に合わせることも必要です。
協調性がないのか、ただのわがままなのか、僕は周りに忖度してまで楽しむことができませんでした。
集団のなかで、ある程度外向的に振る舞うこともやろうと思えばできますが、自然体ではないため相当なエネルギーを消費しては疲弊します。
それは今でも本質的に変わらず、結果、独立してフリーランス?という名の農家をやっています。
責任も含めてすべて自分の裁量ですので、以前会社勤めをしていた頃に比べるとだいぶ自分らしくのびのびと働けていると思います。
嫁さんいわく、サラリーマン時代の僕と比べると、今のほうがだんぜん顔色がいいとのことです(笑)
時代変われば・・・
これまでの時代
日本という国は、戦後、チームプレイによって経済発展を進めてきた側面があると思います。
「和をもって貴しと為す」あるいは「三人寄れば文殊の知恵」といったチームプレイ推し?の言葉はすぐ思いつきますが、個人プレイを推すような言葉はなかなか思いつきません(僕の教養の無さもありますが笑)。
もちろん、背景のまったく異なる個人がタッグを組めば、お互いに弱みを補い合って、シナジー効果を発揮しつつすばらしい仕事ができるのはそのとおりだと感じています。
それが、日本の経済高度成長を支えたのはすでに書いたとおりです。
ただ、今の時代、日本は十八番芸だったエレクトロニクス分野、もっと広く言えばものづくりの分野で他国に出し抜かれています。
かつて栄華を誇った、Japan as No.1 の代名詞ともいわれたような名だたる大企業も、一部は海外の、それも先進国ではない国・地域の企業に買収されたりすることが現実となりました。
どうしてこのようなことが起きたのでしょうか。
これからの時代
もちろん原因はたくさんあると思いますが、僕が特にこれが大きいのではないかと思うものに、「チームプレイ偏重」があります。
僕自身、これまで複数の企業(大企業から中小まで)で働いてきた経験がありますが、いずれの企業でも「チームプレイ」を重視し、何をするにもグループやチームを組んで行うのが当たり前でした。
前述のとおり、それらを否定するというわけでは全くありませんが、そもそも時代の変化について行っているのかな?というのが、ずっと僕自身が内心感じてきたことだったりします。
世の中には、チームプレイよりも個人プレイのほうが創造性を発揮できる一定数の人間が存在します。
そういった人たちは、すでに自分自身の内奥に完成された?世界観を持っていて、それを素直に表現すればそれだけでものすごい価値創造ができるにもかかわらず、日本の社会独特の同調圧力や過度な協調性の強制によって枷をかけられてしまい、そういった才能も宝の持ち腐れになってしまっているのでは?と感じています。
誤解のないように断っておくと、僕自身がそういった特に非凡な人間に当てはまると思っている訳ではありません。
ごく平凡な人間のひとりで、経験上チームプレイより個人プレイのほうがまだ自分の能力を発揮しやすいと自覚しているに過ぎません・・・。
話を戻すと、前述のような「個のちから」をもった人たちは、いわゆる「内向型」の人たちと大部分で重なると思います(完全にイコールではないですが)。
日本がその存在感を世界に示そうと思えば、「個のちから」を個人が十分に発揮できるような環境づくり、いや、それ以前に国民全体レベルのパラダイムシフトが絶対的に不可欠です。
いつまでも旧時代の栄光にすがっていては、世界に取り残される一方だというのが僕個人の考えです。
ジョブズと共にAppleを創った男
スティーブ・ジョブズといえばAppleの設立者として有名すぎるくらいですが、ジョブズとともにApple設立に尽力した「スティーブ・ウォズニアック」という方をご存知でしょうか。
記事執筆時点でご健在で、現在69歳。世界で初めて一般家庭用パーソナルコンピュータを世に贈り出したエンジニアです。
ウォズニアック氏は、創業時にいわゆる「Apple Ⅰ(アップル ワン)」を製作する際、チームではなくほぼ独力で、ひとりの世界にこもって開発したと言われています。
おそらく、チームで動いては彼自身がもつ創造性を発揮することができなかったのではと思います。
誰にも邪魔されず、誰にも気を遣わず、誰の顔色を伺うのでもなく、ただただ純粋に自分自身の声を聞き続け、素直にその声に従って動いたのでしょう。
ウォズニアック氏に限らず、古今東西、様々な新しい発見をしてきた人物(ニュートンやエジソン、アインシュタイン、ウォルト・ディズニー等々)は、共通して内向型であったと言われますが、「孤独」なくして歴史的発見はなかったかもしれません。
最後に
以前、2年間ほど住んでいた中国は、日本に比べればあまり周囲に「忖度しない」文化だと感じています。
だからこそ、思ったことをつい口にする僕にとっては居心地がよかったんでしょうね。
中国では相手が誰でも自分の意見ははっきり言える雰囲気ですし、いちいち相手に忖度するところがあまりなく、それが当たり前のスタンダードです。
「人は人、自分は自分」。そのことが単に言葉だけでなく、DNAレベルで顕在化している印象を受けました。
日本でも、(この国では忌避されやすい)個人プレイで能力を発揮できる人たちが肩身の狭い思いをしなくて済むように、微力ですが僕自身が周りに忖度せずに、自分らしく堂々と振る舞って生きていきたいと思います。
世論の20%が変われば世論全体が変わる、という言葉を耳にしたことがありますが、やはり何事も、そういう草の根の積み重ねですよね^^;
さて、最後の最後に、スティーブ・ウォズニアックさんのとても心に残るメッセージを見つけましたので、ここに貼り付けておきたいと思います。
「自分が何をしたいか、心の声を聞くこと」スティーブ・ウォズニアック氏