生き方2.0? 坂口恭平著『現実脱出論』を読んで。


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最近何冊か、坂口恭平さんという「建築家・作家・絵描き・歌い手(著書の著者紹介欄から)」の本を読んでいる。この方は「いい」意味でかなり浮世離れされた方なので、既存の一般的通念では肩書を紹介するのが難しく、著書の紹介文からそのまま抜き出すことにした。

いまのところ読んだ坂口恭平さんの本は、「独立国家をつくりかた」、「自分の薬をつくる」、「現実脱出論」といったところ。それに加えて、noteに投稿されている「お金の学校」や「躁鬱大学」も読ませて頂いた。同じくnoteにアップされている「土になる」も、農家としては気になっている(が、まだ読めていない)。

一番直近で読んだのが「現実脱出論」という本だったが、まったくもって僕自身が物心ついたころから感じていたことを見事に言語化されていて驚かされた。

語弊を恐れずにいえば、世の中には「集団」優先の人間と「個」優先の人間がいると思う。人類の大多数を占める前者は社会秩序を維持することが先決で、そのためには個人の自由はある程度制約されても仕方がないと(本音ではなくとも仕方なく)考え、そんな社会に擬態化できるタイプ、一方後者は、そんな集団や組織にどうしても馴染めず、自分自身の「個」を抑圧することが我慢ならないタイプ。

ちなみに僕は明らかに後者。とはいえ、集団や組織を否定する気は毛頭ない。「現実社会」というのは人類が存続するために発明された素晴らしいシステム。国家としてある程度体をなしている国にはほぼ例外なく「法律」があり(まぁ機能不全な国もあるけど)、どんな組織でも「ルール」はある。それがあることで秩序が保たれて、その枠の中の人々がある程度安心して生活などすることができる。逆にルールがなければアナーキーな状況になるかもしれないし、カオスに陥って争いや奪い合いが絶えないかもしれない。

問題は、本来安全装置的な「手段」に過ぎなかったはずのルールや決まりが肥大化・自己目的化しはじめて、過剰に個人の自由を抑圧することになっているということ。特に行き過ぎた協調性を重んずる日本社会では顕著だと思う。一億総洗脳時代がいまだに続いている。


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坂口さんは、このように社会が円滑に回るように人間が便宜上作り出した最大公約数的システムを「現実」として、それは「リアル」ではなくむしろ「バーチャル」だと語っている。たぶん殆どの人間は、上記のような最大公約数的な社会システムを「リアル」だと思っている。ところが、「リアル」だと思っていたものは実は「バーチャル」だと言う。どういうことか。

坂口さん曰く、「現実」は、すこしずつ意図的な補正が施された仮想の空間だからこそ、至るところに矛盾が溢れているとのこと。例えて言えば日本に人口が1.25億人いるとすれば、その数だけの個別の異なる「思考空間」があり、その無数のパターンの思考空間こそがそれぞれ唯一の「リアル」なのであって、それらを無理に単純化して作り出した最大公約数的社会システム(=カッコつきの「現実」)は「歪み」なしには存在しえないという意味だと思う。自然形態としての「多様性」に反している以上、矛盾とは無縁でいられなくなる。

だからこそ、マジョリティの人間がうまく回ればよいのではなく、「歪み」によって隅に追いやられたマイノリティが肩身の狭い思いをしないで済むように「福祉(Welfare)」が存在している。福祉がなければ、完全に自己責任論と歯止めの効かない弱肉強食が幅を利かせる社会になるだろうし、優生思想・全体主義にもつながる。どこかにいる誰かの「不幸」の上に成り立つ「幸福」はないからこそ、「Freedom」と「Welfare」は両輪でないといけない。

こういった集団優先社会に対してアレルギーを感じる人は、最近よく耳にする「内向型」や「HSP」と言われる人に多い気がする。うつ病でさえ、「現実」に対するアレルギー反応のように感じられてならない。

心身が疲弊して、場合によっては命の危機さえ感じた人は、本能的に「現実」から距離を置こうとするものの、残念ながら一部の人間には、そういった人たちに「べき論」を振りかざして無理くり引き戻そうとすることがある。長いものに巻かれろ思考の彼らの価値判断基準は「多数派」であること。真偽を自分の頭で考えない。ただ「みんなそれで我慢しているから」と、思考停止よろしく多数を占める考えが即正しい、となる。昔、小学校などで多数決で物事を決めることが当たり前だったが、それは便宜上やむを得ないこととはいえ、少数派の意見は完全に無視して構わないということにはならない。今般のアメリカ大統領選でも、民主党候補が勝利したからといって、当然共和党サイドの支持者の声を闇に葬って良いということにはならない。

ルールはあくまでも大事。でも、昨今のコロナ禍のなか、過剰に歪んだ正義感で他者を攻撃する人間が目立つのも事実。マスク警察といった自警団のような人間がどこにでも出没するようになった。自分が我慢してやっていることを誰かがやっていなかったら、相手にどんな事情があるかを知ろうともせずに攻撃せずにはいられない自慰的心理。そういった幼稚性や不寛容性を生み出してしまうほどに、特にコロナ以降、「現実」社会の矛盾が綻びを見せている。

最後に坂口さんの言葉を紹介しておきたい。

肥大化した現実は、他の空間を押さえつけ、まるで現実しか存在していないかのように振る舞いはじめた。(中略)現実という一つの生命体は一人歩きをはじめ、今では個人の思考が創造として芽吹けるような隙間を見つけるのが困難になっている。そのため僕たちは、現実以外に生きる場所はないと誤解し、たとえ現実に対して疑問を持ったとしても、その問い自体に蓋をするしか方法がなくなってしまった。(中略)人間は集団を生かすために生きているのではない。独自の知覚が実は発動していることを知りながら、現実を壊さないために押し黙っているのは、本末転倒である。

出典:『現実脱出論 増補版』坂口恭平著 194項


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