主体性とモチベーション


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秋の入口に差し掛かって、だいぶ朝晩の冷える季節になってきました。

七十二候では第四十九侯の「鴻雁来(こうがんきたる)」。南に去る燕と北からやって来る雁が入れ違う時期とのことです。

さて、今日は仕事のモチベーションについて書いてみます。

どんな仕事でも、それに起きている時間の多くを費やしている事実がある以上、仕事自体が「苦しみ」であるよりも「楽しみ」であるほうがいいに決まっています。

ロシアの作家ゴーリキーは、次のような名言を残しています。

仕事が楽しみならば人生は楽園だ。仕事が義務ならば人生は地獄だ

マクシム・ゴーリキー『どん底』

誰だって、せっかくの人生、精神的奴隷のような一生を送るのは嫌でしょう。死に際に至って、これまでの越し方を大きく後悔するような人生は考えただけでも恐ろしいものです。

これからまだ人生が残されているような若いころに、将来の「生きがい」ばかり青い鳥のように追い求めようとしても、サルトル言うところの「自由の刑」に処せられている僕たちにとって、数え切れないほどある選択肢のなかでひとつの道を定めるということは、並大抵のことではありません。

とくに物質的にも不自由なく、職業選択の自由も法的に保証されている時代においては、尚更です。

すでに何かの仕事に携わっていても、自分のやっている仕事にやりがいを感じたり、ましてや誇りを感じるということも、非常に難しいようです。


僕自身、今は個人事業主として農業を営んでいますが、それまでに複数の企業で複数の職種を経験してきました。もちろん中には希望通りの仕事ではないものもあり、なかなか仕事にやりがいを見出せないこともたくさんありました。一方で、仕事の内容自体が好きなことだったこともあります(デザイン関連等)。

具体的には、マーケティング・企画営業(対法人)もしましたし、SE(システムエンジニア)兼プログラマーもしましたし、商品開発やプロダクトデザイン兼品質管理もしましたし、機械設計エンジニアをやっていたこともあります。

僕は、学生時代の時点ですでに上に引用したゴーリキーの言葉も知っており、目の前の仕事がつまらない=このままだと人生詰む、という謎の危機感があったので、僕なりに仕事に関連することを独学で勉強したり、「このスキルも、どこかで役に立つことがあるかもしれない」と前向きに考えるようにしてきました。

もちろん長く携わって、ある程度の域に達したというものはないかもしれませんが、幅広く経験してきたことが、不思議にもいまの農業の仕事にほぼすべて生かされています。

独学で学んで資格を取ったりもしてきた会計簿記や数学、IT、中国語などの語学や、趣味の写真なども、しっかり今の農業の仕事に活きています。

いまアラフォーになってみて、これまで10代から30代にかけてやってきた統一感のない、はちゃめちゃなことも、全部ひとつに収斂された感があります。

僕の座右の銘に、「人間万事塞翁が馬」がありますが、いまやっている仕事内容が将来どう生きるかは、誰にもわかりませんし、どれだけ頭をフル回転させて考えたところで目星のつけようがありません。

ましてやVUCA(ブーカ)といわれる不確定性や変動性の高い時代にこれから突入すると言われます。これではなおさら予想のしようがありません。


結局は、どんなことであっても自分の血肉にしてやろう、という「主体性」があるかないか、これが結論だと思っています。

昨今では、「苦労は買ってでもしろ」的な価値観へのアンチテーゼとして、「好きなことだけやる」とか「我慢なんてしなくていい」といった言葉が増えてきているように思います。

これは、本来二項対立ではなく、むしろ態度として中庸であるべきだと考えますが、この極端に矛盾しえそうな2つの極は、「主体性」という概念で弁証法的に止揚できるのではないかと考えます。

「主体性」が伴わないからこそ苦痛を伴う。終わったあとも得るものは残らず、辛さのみが残る。全く同じ対象でも、「主体性」が伴っていれば、つまり「自分自身で決めたことであると認識」していれば、一時的には一種の辛さの実感があっても、それを乗り越えたところに喜びがある。得るものもある。これはだれでも経験的に知っているところです。

結局、上に上げた2つのテーゼは、「主体性」という観点が抜け落ちているがゆえに対立するということなのではないでしょうか。「強制的苦役」と「自堕落な放縦」はいずれも主体性を欠け、極端を生むものです。

結局、人間を成長させるのは「主体性」を伴ったうえでの挑戦ということになります。なにも挑戦しなければ失敗をしなくて済む代わりに、何の成長もありません。

こんな偉そうなことを書いていながら、僕自身も日常の畑しごとのすべてを主体的に捉えることができているわけではありません。

ただ、「主体性」というのは本来「意思」の為せる業なので、いまがどうかよりも、「少しでも主体的に考え動こう」という態度自体のほうが重要ですし、それを日々続けていくことが、仕事のモチベーション維持につながっていくのだと思います。

「自分の軸」というものを持っていて、「他人の期待する人生」でなく「自分の人生を生きる」というのはこういうことを言うのではないでしょうか。


この記事のサムネイル写真に、1本の巨木の写真を使いました。

この木の1本1本の枝分かれした細かい枝葉は、人生における一つひとつの経験です。

先の葉っぱで光合成により作られた糖分が、下へ下へ、他の枝と合流しながら根っこへ向かっていくと、途中で1本の幹に統合・収斂されます。

これも、長い目でみれば、どんな人生経験であってもいつか役にたつ(役にたたせる)という自然のひとつのカタチなのかなと思いました。

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伊藤祐介|Yusuke ITO

伊藤祐介|Yusuke ITO

自然とアートが好きな自然栽培農家(シンフォニアファーム)。多趣味で飽き性。

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