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時間に追われる辛さ
農家になって2年強が経ちました。今年は年初からハウス栽培もはじまって多忙に次ぐ多忙の1年でした。
あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、前日に1日のタスクを整理して頭で軽くシミュレーションするも、自然相手の農業ではなかなか想定通りに事は進みません。
畑に入って5m歩いて、「あ、この畝の草引きしなきゃ」とか、「あ、欠株が出てる。補植しなきゃ」とか、畑に行って初めて気づくことも少なくありません。
臨機応変な対応が上手は方はうまく対処されると思うのですが、僕は気質的に完璧主義なところがあり、ちょっとしたことでも「ちゃんと」やらなきゃと思い込んでは自分を追い込んでしまいます。もちろん時間は止まってくれませんので、なかなかタスクを潰せずにイライラが募ります。
そういうときにいつも思うんですよね、「時間に追われてるなぁ」と(T_T)
一方、たまにですが、仕事に余裕を感じるときもあるにはあります。そのときは逆に、「時間を先取りできてる」って感じます。ただし、かなりレアケースです。
前者は、すぐ後ろで「時間」から突っつかれて焦る感じ、後者は「時間」よりだいぶ先を走っていて余裕を感じているようなイメージ。
時間に追われていると感じている間は、頭がそのことでいっぱいで気持ちにも余裕がなく、平静な状態なら気づくことも気づけなかったり、常に焦っているので作業がうまくできなくなったり、それでイライラしてモチベーションまで下がって、といった感じで負のスパイラル状態です。
こうなると仕事もイヤになってきて最悪です。正直休みもなく、事務仕事も含めると朝から晩までほぼほぼ仕事に時間を割いています。これだけ人生の時間を占めている仕事がイヤになってしまうと相当に人生を損してそうです(T_T)
仮に仕事が好きで好きで仕方がない!となっても、たぶん僕の性格では四六時中仕事のことばかりは考えられません。仕事にすべてを捧げるのはさすがに無理だと思います。ほかにやってみたいこと、楽しみたいことも多く、それだけでは満足できないんですね。毎晩寝る前になって、「あー、今日も読みたい本が読めなかった。ゆっくり映画を1本観たかったけどかなわなかった」とぼやいてます(笑)
時間とココロの余裕をもつには
だとすれば、やはり仕事に割く時間というものを物理的に短縮する必要があります。
そこで一番、要になると考えているのは「価格」です。
自分の労働力だけに頼るにせよ雇用するにせよ、労働集約型産業の典型である農業では労働コストが真っ先にボトルネックになります。
就農前からそのことは考えていて、今の無施肥栽培を選んだのは、単に商品価値を高めて高付加価値路線でいくため「だけ」ではなく、農作業そのものを簡略化して労働コストを制約要件から外すという狙いがありました。
とはいっても、慣行栽培のように技術的に確立されて一般化した方法ではないので、やってみないことには分かりません。なので今でも実験継続中です。
いま実践中の無肥料栽培でなぜ作業量が減ると考えているのかについて書くと長くなるので、とりあえずここでは端折りますが、それが奏功すれば農作業がシンプルになった分時間が創出されますし、もちろん単価が上がることによっても販売数量をへらすことができるので、時間のかかる収穫調整出荷作業も減ることになります。
そもそも時間に追われるような働き方だと、PDCAを回す余裕すらなく、問題点の改善すらできません。時間にゆとりがうまれて初めて創意工夫とその実行ができると思います。そのためには、思い切って作付面積や作付量を減らすという決断も必要かもしれません。急がば回れ。目先の利益よりも長期的な視点での事業の継続を考えれば、農業の場合、日常的にゆとりをもって畑の状況を観察したり改善したりしていくことが最重要だと考えています。毎日タスクに追われていると、作物の観察なんてしている余裕すらありません。つまり改善のしようがありません。
加点主義
最近少しずつですが、加点主義というか、「すでに農業という、人が生きる上で欠かすことのできない食を生産し、自然相手の困難な仕事に向き合えてる時点で100点満点で、そこから加点されることはあっても減点になることはない」と考えられるようになってきました。
なので、たとえば畑の作物をすべて販売できずに一部土に戻すことになったとしても、そのことで落ち込まないようにしています。あくまで自然が相手ですので、収量や品質を完全に把握することは不可能ですし、販売先だっていつ何があるか分からないというのは、今回のコロナ禍で誰もが改めて実感したことだと思います。
もし「プロ農家」の定義が、生産・販売・在庫を完璧に管理できるような一切無駄のない超合理主義的な農家のことを指すとしたら、僕は一生「アマチュア農家」でいたいと思います^^;
無理をしてまで青天井に儲けたいとは思いません。「体が資本」とは言いますが、「心が資本」でもあります。無理をして当面稼げても、無理が続けば間違いなく体と心がついていけません。農家が元気をなくせば、結果、作物も元気をなくすんじゃないでしょうか。
農家はみんな、自然という予測不可能なものを相手に仕事をしている時点で、もう「はなまる100点満点」って思わないと、(自然はコントロールできないのに)理不尽に自分を追い込んでしまって、結局良い作物ができなくなってしまう気がします。